2008年11月19日水曜日

11/19 Today 小林一茶の忌日(1827)

小林一茶 - Wikipedia: "小林一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)-文政10年11月19日(1828年1月5日))は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名・小林弥太郎。

信濃北部の北国街道柏原宿(現・長野県上水内郡信濃町大字柏原)の貧農の長男として生を受ける。3歳の時生母を失い、8歳で継母を迎える。継母に馴染めず江戸へ奉公に出、25歳のとき二六庵小林竹阿に師事して俳諧を学ぶ。

29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続の件で継母と12年間争う。

50歳で再度故郷に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。2番目の妻(田中雪)を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける。

文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭い母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。そしてその年の11月19日その土蔵の中で65歳の生涯を閉じた。"


結局、土地と家屋を半分半分にすることで、また一茶分についてそれまでの賃料を一茶に払うことで、相続問題はけりが付いたという。かなりねちっこい。
痩蛙(やせがえる)まけるな一茶これにあり

痩せ蛙とは一茶自分のことか。

0 件のコメント: